〔頑張れ信州〕「第19回杭州アジア大会」自転車競技MTBに小林あか里(信州大)が選出。
日本自転車競技連盟は9月8日
コロナ禍で1年の延期となっていた
中国杭州で開催される
第19回杭州アジア競技大会 自転車競技の
日本代表選手を発表。
長野県からはマウンテンバイク女子で
小林あか里(信州大学4年生)が選出された。
詳しくは下記のとおり…
杭州アジア大会日本代表 自転車競技
大会期間(自転車):2023年9月25日(月)~10月5日(木)
開催場所:中国・杭州
マウンテンバイク(競技日:9月25日)
沢田時(男子クロスカントリー)
小林あか里(女子クロスカントリー)
トラック(競技日:9月26日~29日)
長迫吉拓(男子チームスプリント)
小原佑太(男子チームスプリント)
中野慎詞(男子チームスプリント、ケイリン)
太田海也(男子チームスプリント、ケイリン、スプリント)
窪木一茂(男子チームパシュート、マディソン)
今村駿介(男子チームパシュート、マディソン)
橋本英也(男子チームパシュート、オムニアム)
松田祥位(男子チームパシュート)
兒島直樹(男子チームパシュート)
太田りゆ(女子ケイリン、スプリント)
佐藤水菜(女子ケイリン、スプリント)
梶原悠未(女子チームパシュート、マディソン、オムニアム)
内野艶和(女子チームパシュート、マディソン)
池田瑞紀(女子チームパシュート)
垣田真穂(女子チームパシュート)
BMX(競技日:10月1日)
中井飛馬(男子レーシング)
畠山紗英(女子レーシング)
ロード(競技日:10月3日~5日)
新城幸也(男子ロードレース)
小石祐馬(男子ロードレース、タイムトライアル)
與那嶺恵理(女子ロードレース、タイムトライアル) 垣田真穂(女子ロードレース ※トラック種目兼任)
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〔JCF公式〕
ということで杭州アジア大会についてでした。
小林選手この大会はメダルを
獲らなければならない大会であり
プレッシャーもかかりますが
頑張って来て欲しいと思います。
長野自転車でアジア大会といえば
1994年の広島アジア大会で
今は早稲田大学自転車部
塩原正長監督(松本工業高出身)が
1㎞タイムトライアルで金メダルを獲得したことが
あまりにも有名です。一方で
アジア大会…
御存知の方も多いと思いますが
それは、自分と自転車が出会った大会です。
2002年の釜山アジア大会。
当時の自分がいた業界は
決勝トーナメントをNHKが
全試合を生中継をしてくれた影響で
全試合がナイトゲームになり
昼間はヒマ、しかも試合の無い日もあって
ある日、テニス会場で神尾米選手が出るということで
スゲー有名人いるじゃん!と皆で応援に行って…
ついでに、隣の体育館で
バスケットボールの日本代表が試合を
やっていて、それを応援して
やることが無くなったら…
となりの競輪場?で
「自転車やってるから応援行く?」みたいな
空気になって…
その時、俺は
「自転車なんて興味無いから帰る!」と
ただ一人ゴネていて、不貞腐れて
体育館の隣の金井競輪場へ行った
それが自分と自転車との出会い。
一番ゴネてた自分が
よもや20年後に「サイクリング長野」とは…
何だか諸行無常を感じます。
あの時、もし自分が韓国語か英語が話せて
自分でバスや電車で一人で帰れていたら
確実に、自分は自転車界にはいなかったし
サイクリング長野というサイトは存在しなかった。
あれから20年。
当時、自分のいた業界は
長い間のプロとアマでいがみ合いが終り
ようやく雪解けはしたものの
アジア大会というより、国際大会に
誰も行きたがらなかった…
(そういえば、昨日そのU-18がW杯で優勝してた)
その時に比べると
自分がいた業界も大きく変わったし…
国際情勢も大きく変わった。
何よりも一番変わったのは、
自分がその業界にいない上に
ボランティアでまさか自転車の何か?を
やっているとは…
御存知の通りTOKYO2020も
スタッフとして深く競技にかかわったけど
そんなの比較にならない位に
様々なことを勉強させてもらったし
後に自分の人生が大きく変わった。
(幸か不幸か?自転車だしな…)
また、20歳前半という非常に
心身共に今の100倍は情熱的で
多感なキレキレの時期に
これを経験したのも大きかった。
凄く思い入れのある大会です。
今大会はコロナで1年延期ということですが
是非とも良い大会になるようにそれを祈っています。
久しぶりに天井に飾ってあったピンバッチケースみたら
その中にアジア大会のピンパッチと、金井競輪場で
自転車を応援してたら
日本代表自転車チームの誰かからもらった「JCFのピンバッチ」。
あと、それと後方には洗面台で未だに使っている
アジア大会のステンレスカップ。
※2022年のJOCのピンバッチが無いが…その話は下へ続く。
大会が終わって帰る時に、会場で無料配布していた
この大会ステッカーが欲しくて
ボランティアの人に「このステッカー下さい!」って
言ったら、生憎そこの場所にステッカー無かったのよ。
それでさ、俺が多分、相当残念そうな顔して
御礼とお別れを行って空港に向かったのよ…
それで搭乗手続きをして、出国しようとしたら
後ろで何かワァッ!と女の子たちが騒いでるのよ!振り向いたら
ボランティアの女の子たちが、このステッカーを手にもって
出国しようとしている自分に向かって手を振ってるの…
この子達、わざわざ自分を追いかけてこのステッカーを持って
空港の出国入り口まで来てくれたんだ。
何か、もうちょっとしたドラマだった。
韓国語わからんし、当時は英語も話せなかったけど
身振り手振りで…もうありったけの感謝をして
何か持ってた日本のモノを全部その子たちに渡して来た。
アノ時の出国口でもらったステッカーがこれ!
このステッカーの物質的な価値よりも
これを持って空港まで追いかけて来てくれた
ボランティアの女の子たちの気持ちを忘れないように…
あれから20年がたったけど、これから20年も忘れることは無い。
それで、その経験がTOKYO2020に繋がるんだけど
とにかく、こういう国際大会ってさ
本当に普段は交わらない国の人・立場の人と出会う訳。
オリパラが終わった時にフランスチームがお世話になったと言って
ジャージとか備品を山のように持って来てくれたが
それに対して、自分も東京五輪のモノは全部
出会いと・友情の証で交流のあった人に配って来た。
手元に自分が支給されたTOKYO2020のモノって
物質的には殆ど残っていない。
だけど…
言葉も解らないんだけど、出会った人達の
温かい気持ちってのはいつまでも消えずに残ってます。
おそらく、そこでの出会いや、一瞬だけど友情や感謝
そういうのが本当に国際大会で得る最も価値のあるもので
唯一無二の普遍的なモノだと思う。
TOKYO2020何てほぼ強制連行されて終始嫌な想いと
何だか五輪という商業主義一辺倒のスポーツイベントに
嫌悪感しかしなかったけど
そこで出会った現場の人たちのことはきっとこの先も忘れない。
毎度ですが、フランスチームのジャージ美鈴湖に寄付してあるので
見て下さい。
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