「TOKYO 2020 パラリンピック競技役員」として参加した若手役員の紹介
東京オリンピック・パラリンピックが終了して
そろそろ一か月が経とうとしています。
自分も長野県の自転車界に帰り、ボランティアながらに
毎日、自転車のことを3時間も4時間もやっていると
オリパラがもう本当に遠い昔のように感じます。
そして、多くの人の記憶からも少しずつ
TOKYO 2020が遠くなって来ているのを感じます。
そろそろ開催可否も含めたあの熱狂も覚め
冷静さを取り戻し、多くの人にとって
「あぁそんな大会もあったね…」という今だからこそ
少しずつあの大会は一体なんだったのか?何が残ったのか?
未来へ何を残すのか?を数回にわけて総括して行きたいと思います。
その第一回として、長野県自転車競技連盟は今大会
オリパラ合わせて14名の審判員・競技役員を派遣。
とりわけ今後のパラスポーツの普及を視野に
パラリンピックに、25歳以下の若手を競技役員として
4名派遣致しました。
そんな次代の長野県自転車界ひいては
日本自転車界を担っていく若手達をご紹介します。
若手競技役員の紹介
大前龍太(松本情報工科専門学校2年)
〔大会後のコメント〕 パラリンピックロードのコントラクターとして急遽参加することが決まった時はパラ競技の知識が少なく初めての国際大会だった為不安があったが無事に終えることができてよかった。日本開催の国際大会は数が少ないのでいい経験になったと思う。
2019年の高知県代表として活躍。自身が高校自転車選手だったこともあり
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芦田健(信州大学4年) 〔大会後のコメント〕 今回ご厚意により声をかけていただき、マーシャルとしてパラリンピックロードレースのボランティアに参加してきました。世界中のナショナルチームやパラリンピックならではの機材など、国内大会ではなかなか見ることのできないものばかりで非常に貴重な経験となりました。また、大規模な大会の運営の大変さ、どこにどのように人員を配置するべきかなど、今後の大会執務につながる知識をわずかながら身につけられたのではないかと思います。次にこのような機会がいつあるかは分かりませんが、また是非、携わってみたいと思います。
今年の上山田シクロクロスの総務委員長を務める
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杉本鉄馬(日本大学4年)
今大会では、特にオリンピック・パラリンピック
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金原 諒(長野車連強化委員)
今回パラリンピックロードでは、会社の終業から直接前日の深夜に会場入り
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長野県派遣の競技役員・審判員の紹介
パラリンピック・ロードに派遣された長野県審判員・競技役員
(左から:芦田審判員・平林審判員・金原審判員・大前審判員・金子ドクター・田中審判員)
※各自所属部署やオフィスが違うため、全ての大会日程が終了し
撤収作業が始まったこの写真を撮影するまで
長野県チームのメンバーが一同に会することは無かった。
(この写真を撮影する際も藤森審判員は行方不明)
大会前にも長野県から派遣される
審判員・競技役員の紹介を致しましたが
後日、追加招集などもあり
改めて、長野県のオフィシャル・メンバーを
ご紹介いたします。
オリンピック
氏名 | ポジション | ロードレース | ロードタイム トライアル |
トラック競技 | MTB | BMX |
藤森 信行 | 審判 | ✓ | ✓ | |||
伊藤 将志 | バイク審判 | ✓ | ||||
田中比呂喜 | 競技役員 | ✓ | ||||
山田 学 | 競技役員 | ✓ | ||||
平林 功 | 競技役員 | ✓ | ||||
杉本鉄馬 | 競技役員 テストライダー |
✓ | ||||
丸山 元靖 | 競技役員 | ✓ | ||||
江下 佳代 | 競技役員 | ✓ | ✓ | |||
丸山 八智代 | ? | ✓ | ||||
金子 稔 | ドクター | ✓ | ✓ |
パラリンピック
氏名 | ポジション | ロードレース | トラック競技 |
藤森信行 | 審判 | ✓ | ✓ |
平林 功 | 競技役員 | ✓ | ✓ |
田中比呂喜 | 競技役員 | ✓ | |
杉本鉄馬 | 競技役員 テストライダー |
✓ | |
金原 諒 | 競技役員 | ✓ | |
大前 龍太 | 競技役員 | ✓ | |
芦田 健 | 競技役員 | ✓ | |
金子 稔 | ドクター | ✓ |
《若手審判員の登用について》 今回オリンピックに招集されて先ず感じたのが、競技役員宿舎で「朝食会場」に毎朝行くのですがビックリするほど若者がいなかったことです!各県から派遣されているスタッフの平均年齢はおそらく50歳を越えていて、言い方が悪いですが朝食を食べているこの空間に「黒い頭の人」(若い人)が殆どおらん!その印象が今も強烈に残っています。どこの県も「大ベテランの方」や「御大」が来ているまでは良いのですが、自分の目から見て今回のオリンピックが大々先輩方の集大成の場所になっていたことに非常に強い危惧と違和感を感じました。
オリンピックのロードは大会初日・二日目だったのですが、この時点で正直、「TOKYO 2020オリンピック自転車競技」は後世に繋がるレガシィ(遺産)を残せないと確信しました。(後ににトラック競技に行くと結構若い人もいたのですが…)。では、後世に残すべきレガシィ(遺産)とはなにか?問われれば自分の答えは「次代を担う若い人材」「世界に通じる若い人材」だと強く感じたと共に、このままではTOKYO 2020を経験したことのある人材はあと10年もすれば殆どが現場から絶滅する!という強い危機感を感じました。
他の県、他の団体はそれで良し!だとしても 長野県がそうであっては困る!
そこで、ロードレース終了後のスタッフ追加招集の際に、TOKYO 2020組織委員会と長野県自転車競技連盟にお願いをして、長野県からは25歳以下の若手を追加派遣してもらうことになりました。理由はシンプルで、TOKYO 2020の記憶を出来るだけ長く後世に語り継いでもらいたい。そう思い、トラック競技の執務と並行しながら招聘の調整を行いました。
※たった3名を招集するにしても各諸機関への説明、所属への挨拶、コロナの対策・ワクチンどうする?など調整は本当に難航しました。多分事前にこんな大変だと解っていたらやらなかったかも知れません…(笑)
また、大前・芦田・金原を起用したことは、彼らが現在既に「大会運営オーガナイザー」「メカニック」「指導者」として活躍を始め、自転車界において将来違った目標を持っていること、また、「大学生」・「専門学校生」・「社会人」とそれぞれが現在違うフィールドにいることで、彼らが大会から帰って、別々のフィールドで「今大会の語り部」となってくれることを期待して白羽の矢をたてました。
また、自分はオリンピックとパラリンピックの間に約10日間の休暇期間があり、この期間中に松本市でフランス代表パラサイクルチームと出会ったことも非常に大きく、長野県でパラサイクルを「障がい者スポーツ」として普及して行く上で、是非ともパラリンピックを長野県の自転車関係者に執務を通じて見てもらいたいと強く思うようになりました。
パラリンピックロード当日、彼らはコントラクター(短期契約スタッフ)として、多くの一般ボランティアをまとめ各ポジションで大役を果たしてくれました。事前に自分のほうからもTOKYO 2020の「難しい現状」や「課題」等、短い期間でかなり沢山の情報共有を彼らに求め、3名とも大変だったと思いますが、他県の役員やボランティアの方からも3名の直向に執務する姿に対しての賞賛の声を頂き、自分もまた鼻が高かったです。今後は、各自の所属に戻り今回得た体験を身近な人達・これから出て来る若い世代に語り継いで行って欲しいと思います。それこそが、彼らがTOKYO2020に出場した最大の役割であると伝えてあります。
さて最後に、彼らを招聘する上では、非常に多くの方々の御理解を賜りました。
こうした考え方を尊重して、彼らを積極採用して下さり、彼等の所属学校・所属会社に派遣依頼状(委嘱状)を出して下さったTOKYO 2020組織委員会の方、平日にも関わらず3名を快く送り出して下さった所属会社・所属学校・所属のアルバイト先の方々に心より御礼を申し上げます。今回長野県から派遣された3名と大学連盟から推薦で参加した杉本を含め、彼らの経験が必ず長野県・日本の自転車界の未来につながることを強く願っています。
※今回のオリパラですが、「もういい加減にしてくれや!何で俺ばっか!何でも間でも俺に持ってくんなや!!」と気持ちを叩き付けたくなることが開催前から終了まで常に付きまといました。しかし、唯一オリパラ側に対してワガママを言わせてもらったのが『とにかく若手を現場に呼んでくれ!』というリクエストでした。流石に何も言わず?ブチ切れている??自分に対して現場の偉い人達が見るに見かねて、自分の我を汲んで下さいました。その方へ感謝とお詫びをこの場を借りて心より申し上げます。 |
最近、会う人会う人に
オリンピック・パラリンピック
テレビで見たよ!(笑) と…
県内の自転車関係者だけでなく
近所の床屋さん、自宅の向かいの奥さんにまで
言われる始末…
つか、皆さぁなんか俺をネタにしてね?
正直、NHKとYoutubeとOBSに
俺の映ってる部分だけ
全部モザイクかけてくれや!と
本気で思っているのですが
多くの自転車関係者の方々が
オリパラ面白かった!
特にトラックは…
1コーナー藤森審判だし
2コーナーが信大出身の岩間審判員。
スタート周りは、平林審判員と自分…
長野県オールスターで
オリンピックやってんじゃん!
長野県大会かよwwww
みたいな、みたいな…
ふ~む… なるほど…
そんな見方もあるのか…
いとをかし。
テレビに映る我が姿を見て
もののあはれを感じる今日この頃です。
まぁそうやって
楽しんでくれたならそれはそれでいいか…
そんな風にポジティブに考えています。
こうして、長野の審判や役員が
活躍する姿を見て
次の世代が育ってくれれば…
特に今日紹介した「若い4人」を見て
何で長野県の代表でオリパラへ行くのが
金原・芦田・杉本・大前なんだよ?
長野の若者はそれだけか?俺にも出来る!
何で俺をオリンピックに呼ばなかった?
と奮い立ってくれるイキのいい若者がいれば
自分も犠牲になった甲斐があったし
長野県自転車界の未来も安泰だと思います。
今後も出来る範囲にはなりますが、
次代を背負い・創る若者達に
次のチャンスを与えられればと思います。
最後に、長野県から派遣された皆さん
本当にお疲れさまでした。
非常に大変な現場だったと思います。
改めまして、オリパラで活躍された
役員の皆さんを温かく
迎えてもらえればと思います。
※という訳で、オリパラを振り返る第1弾は
若手競技役員の活躍についてお伝えしました。
今、TOKYO 2020は色々なものが急ぎ店じまいをしています。
今日9月28日は、我々スタッフ用のEラーニングサイト閉鎖が通達されました。
徐々に大会は「遠い過去の記憶」になろうとしています。
大会中は本当に色々な制約があったし、組織委員会の中にも
知り合いが沢山いて、下手に色々と喋るとチームワークが崩壊する!
正直に内情を語ることは出来ませんでした。
しかし、今後さらに様々なモノが解散・閉鎖になり
世の中もオリパラへの興味を無くす頃をメドに
実際に現場では何があったのか?
殆ど使えないオリパラ特有のノウハウの中から
今後何を残して行くのか?
長野県派遣役員の中で、最長日数を派遣された
自分が見たオリパラを機会を見ながら語りたいと思います。
とにかく、自分がこのオリパラなんぞに現を抜かした影響で
いま物凄く忙しくなっています。
不定期でお伝えしますので暫くお待ちください。
関連LINK
TOKYO 2020(公式)
gorin.jp(民法公式LIVEサイト)
NHKオリンピックサイト(LIVE配信)
長野県自転車競技連盟(公式HP)