「長野県自転車競技連盟」が創立70周年。
昭和25年(1950年)10月に設立された
長野県自転車競技連盟が、令和2年10月をもって
創立から70回目のシーズンを迎える。
今回は県サイクリストの皆さんにはお馴染みの
長野県自転車競技連盟の歴史について特集します。
長野県自転車競技連盟創立の歴史
遡ること2年前のことです。
ちょうど自分が、半ば交通事故の正面衝突的な巡りあわせで
長野県自転車業界に携わるようになって3年目。
そもそも長野県自転車界はどんな歴史を歩んで来たのか?
こんな疑問を持ったことがきっかけでした。特に…
全国屈指の「大会運営能力」の高さと
その原動力となる、高い能力を持つ競技役員を揃える
長野県自転車競技連盟とは
何時から、どう云った歴史があるのか??
そんな疑問のもと、2018年の夏、堺市にある自転車博物館の
書庫で、博物館事務局長の長谷部雅幸さんにお手伝いを頂き
数多ある文献を探しながら歴史を紐解くことから始まりました。
しかし、日本でイチ・二を争う資料を持つ自転車博物館にも
その記述が無く、長野に帰って県連関係者で文献を調べたところ
松本市体育協会発行の…
松本市体育協会七十年のあゆみ(平成7年12月発行)
の中に創立を知る以下の記述がありました。
13. 松本自転車競技連盟 発足の経過と沿革の概要 戦後、自転車の開発普及が進むにつれ、利用者が急増し、通勤・通学から競技嗜好が強まった。しかし、当時長野県には自転車競技場がなかったため、道路を利用しての競争が盛んになり、全国的にもアマチュア自転車競技会が盛んに開催されるようになったので、これらのアマチュア競技を統轄する組織が必要となった。こうした事態により、松本市の競技関係者は、市の体育係および体育協会指導のもとに、昭和22年4月、筒井直久松本市長を快調に、体育協会の水崎和男を理事長にそれぞれ就任願い、松本自転車競技連盟を結成した。 当時、もっぱら道路競争を重点に競技者の育成強化をはかった。その一例として、松本・大町間の実用車道路競争大会を、松本体育協会共催、信陽新聞社後援により開催した。松本城を出発点に大町裁判所前で小休止、逆コースで松本城が決勝点であった。この競争は沿道の大観衆の声援があり、大成功であった。 その後、プロによる競輪事業が全国各地で始まり、松本市でも、昭和24年8月、宮田地区へ一周400mの競輪場を造成、同年10月1日に第1回松本競輪が開催された。 これに伴い競輪選手を志望する青少年が益々増加した。これに対応して長野県自転車競技連盟が昭和25年10月、県体育協会の助力により結成された。松本自転車競技連盟もこの傘下に加盟し、強力な組織となった。 昭和56年、連盟役員の充実をはかり、連盟会長に耳塚充邦、副会長に穂刈勇、理事長に太田民雄、総務関係副理事長に友崎繁雄、競技関係副理事長に斎藤博を選出、役員の充実をはかり、運営に万全の体制を整えた。さらに59年、会長に飯沼瑛、理事長に太田勇、副理事長に小林秀一・浅香英二、総務委員長に太田晃等の若き指導者に鞍替えして、益々発展を期している。
「松本市体育協会七十年のあゆみ」より抜粋 |
と云う、歴史学的にも「一次資料」と位置付けて良い
資料が発見されました。
これをもとに…
長野県自転車競技連盟は昭和25年(1950年)10月に設立
本年、2020年10月に創立70回目のシーズンへ突入することになります。
また、皆様ご存知の通り
当サイトでは「長野県自転車競技連盟70周年」と云うことで
今年の「Team Nagano Tシャツ」は、初めて
長野県自転車競技連盟様とコラボレーション。
創立70周年記念ロゴを、飯田風越高校自転車競技部出身で
現在、武蔵野美術大学に在学している代田晃大氏に依頼して製作、
Tシャツの背面に大胆にレイアウトをして販売を致しました。
多くの皆様にお買い求めいただきありがとうございました。
収益は例年通り長野県自転車競技連盟の若手選手育成の為に
寄付させて頂きます。
史書より、70周年の主な出来事
第33回国民体育大会 やまびこ国体 第33回国民体育大会の自転車競技開会式は、昭和53年10月10日秩父宮妃殿下を会場に迎えた。競技場は全国ほどんどが同じつくりであるが、道路競争となると千差万別である。特にやまびこ国体のアルプスロードコースは、日本アルプスの山麓を走る全国に例のない素晴らしいコースで、全国から参加した選手の賞賛の声がしきりにあった。 また、この国体で、松商学園高校の藤本達也が、1000mタイムトライアルで5位入賞したことは快挙であった。 「松本市体育協会七十年のあゆみ」より |
連盟関係者の快挙 平成6年、広島で開催されたアジア大会で、松本工業高校出身で早稲田大学OBの塩原正長は、1000mタイムトライアルで、世界の強豪を抑え優勝、また同年の国民体育大会でも1000mタイムトライアルで優勝した。 昨年のインカレで選手を迎える早稲田大学塩原正長コーチ 「松本市体育協会七十年のあゆみ」より |
歴代会長 前身の松本自転車競技連盟も含めた歴代会長 ・筒井 直久 (昭和22年4月就任) 耳塚喜門 現長野県自転車競技連盟会長
「松本市体育協会七十年のあゆみ」より |
サイクリングより
長野県自転車競技連盟創立70周年おめでとうございます。
思えば、2018年夏に大阪堺市にある自転車博物館へ
長野県車連の歴史を調べに行った日のことを思い出しています。
甲子園では、後に旋風を巻き起こす金足農業の1回戦の日だったのを
覚えています。
※サボって自転車博物館行ってたから!野球関係者の皆様あの時はすんません!!
その時に、日本自転車界の生き字引でもある
博物館事務局長の長谷部雅幸さんに、お手伝いを頂き
色々とお話しをさせて頂いたのですが
長谷部さんがこんなことを言われていました…
長野県自転車史を編纂するのであれば早いほうがいい
今ならまだ耳塚長野県車連会長を始め多くの方が
お元気でいらっしゃる。 この年になってみると
先輩方から、もっと多くのことを
聞いておけば良かったと思うことがある…
と、日本自転車界の重鎮でおられる長谷部さんが
自転車界3年目の自分に語って下さいました。
それは、とても重みのある言葉で
今でも自分のこころに強く残っています。
自分もまた思います。
歴史と云うのは「紡がなければ」連ならない。何もしなければ、
それは日々をただダラダラと垂れ流しているのと同じこと。
サイクリング長野は、サイトの役割として
長野県自転車史を未来に向けて紡いでいると自負していますが
今はそれだけで精一杯。
出来るだけ早く、いま自分が長野県自転車界で担っているものを
後進に託して、出来れば次の10年で長野県自転車史の
編纂に向かいたいと思っています。これは近々の
サイクリング長野の宿題としたいと思います。
2015年には美鈴湖自転車競技場が開場。
と云うことで、70周年のお知らせでした。
このキャンペーンに関しては
ある意味「自作自演」な所があり…
自転車界の殆どの人は「ほ~ん」で
終わると思うのですが
ここに自転車界の悪い意味での“らしさ”を感じます。
自転車博物館に行った夏、
甲子園は100回目の夏でした。
高校野球が積み重ねた1世紀と云う
歴史の重さを改めて痛感する夏でした。
大会に「第〇〇回」を付けなさい!
それが、その大会の格の高さになる!
高校野球はここが上手い!西暦では無く
「第80回大会の松坂」「第88回のハンカチ」だとファンが云う。
そこに、さりげなく歴史の重さを
受け手に意識させる
プロモーションの上手さがある。
って話しをしました。
ともあれ、70年の歴史の中の
5年しか自分は知らないのですが
やはり70年と云う時間の中には
数多くの人の想いがあったと思います。
今日は、そんな歴代の方々に対しての
リスペクトと、心よりのお祝いを申し上げます。
そして、長野車連への激励として
この積み重ねて来た“あなた達自身の歴史”を
大切にして欲しいと切に願います。
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